時計を時計として意識する
平日に使う時計と休日に使う時計には、それほど明確な区別をしていないつもりですが、無意識の中で使う時計を選んでいることがあります。
平日は、頑丈で気楽に使える時計を選びます。時計としての色気より、道具としての安心感を求めるのです。そしてカレンダー付きならば、さらに好ましいです。つまり、シードゥエラー(あるいはシーマスターなど)を使っているのです。
休日は、時計を趣味として接したくなります。もちろん、そのままシードゥエラーを使い続けていることも多いですが、時計店に行くときなど、“時計を時計として意識する”場合には、ロレックスを外すことが多いのです。だから、ロレックスで時計店にいくと、“今日は珍しいですね。” と言われます。
ロレックスは、良い時計だと思います。もちろん、不満もありますが、信頼できる優秀なパートナーです。ロレックスを持っているからこそ、ヴァシュロンやブレゲなどで、思う存分楽しめるのかもしれません。
ヴァシュロンには、不思議な魅力を感じます。眺めていると、深く引き込まれてしまうのです。時計に対する理想論とか、そんなことは関係なく、好きになってしまうのです。本当に不思議な時計です。
“恋愛対象ではないが、信頼できる仲間”なのがロレックス、“振り回されているのはわかっているけど、好きでたまらない”のがヴァシュロンです。なお、“心地良い緊張感を味わいながらも、決して気疲れしない”のがIWCでした。
さて、私が本当に好きな時計は、何でしょうか?
難しいですね・・・。
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